この投稿は「GearHead1」のプレイ日記です。目次はこちら。前回の投稿はこちら

4日目15時25分22秒

GearHead1のプレイ日記を始めます。前回はSnake Lake公園の探索をしました。メック博物館で歴史の勉強をしたり楽しかったです。今回の投稿はHogye村のメックアリーナに行って第四戦目に挑戦します。アリーナで戦う前にメックの強化をしようか。

現在地はSnake Lake公園です

現在地はSnake Lake公園にある博物館です。いったん広域マップに出てSnake Lake繁華街に戻りたいな。繁華街に戻ったらメックのパーツを売却してお金を貯める。そしたら企業地区にあるメックのお店に行ってメック用の武器を購入したいのです。

現在のメモとメールです

現在のメモとメールは上の画像。上から順番に4つの依頼が並んでいるけど、現状では解決が不可能なものばかりだ。Last Hopeとかいう街がどこにあるのか分からないしね。

メック修理スキルを5にします

今回はメックバトルを行うので忘れないうちに「戦場のハイエナ」のタレントを習得しておきます。タレントはスキルの上位互換にあたる技能です。特定のスキルを鍛えることでタレントの習得が可能になる。俺が習得したいと考えている戦場のハイエナはメック修理スキルを5にすると覚えることができます。

戦場のハイエナを習得します

400の経験値を消費してメック修理スキルを5に上げました。現在習得することができるタレントは上の画像になった。戦闘能力にボーナスが付くタレントやステータス値が上昇するタレトなど様々なものがあります。今回は破壊したメックから多くのパーツを回収できるようになる「戦場のハイエナ」を覚えます。メックのパーツを沢山回収してお金儲けをする計画なのだ。タレントは5個まで習得できるけど、だんだん習得するために必要な条件が厳しくなっていきます。2個目のタレントを習得するのは遙か未来のことになりそうだ。

Snake Lake公園から広域マップに出ました

戦場のハイエナを習得したから、メックアリーナで破壊したメックからも多くのパーツを回収できるだろう。もうHogye村のメックアリーナに移動しても良いのだが、先ほど書いたとおり繁華街に行って不要なメックパーツを売却します。そして企業地区にあるメックパーツ屋を訪問して強いメック用の武器が入荷されていないか見に行くのです。

BuruBuruに預けてあるメックパーツです

俺は撃破したメックから回収したパーツをBuruBuruに渡して保管しています(上の画像)。ロケットランチャーや小型オートキャノンは大量に所持しているから売却します。このようにメックのパーツを売却してお金を貯めていき強いメックを購入するのです。

繁華街のMonkey Wrenchを訪問しました

Snake Lake繁華街にはお店が沢山あるけど、メックのパーツを購入したり売却できるのはMonkey Wrenchだけです。今回は運が悪いことにメックの武器が販売されていなかった。それでもBuruBuruに預けていた弱い武器の在庫を売却することはできました。

1万円稼いで、メック溶接用具を買った

BuruBuruに預けていた不要なパーツを10個ほど売却して1万円を手に入れました。もっとお金を稼げると思ったのに1万円しか稼げなかったのはショックだ。そしてお店で販売されていた「メック溶接用具」を購入しておきました。メック溶接用具はメックを自力で修理する際に必要なアイテムです。俺は経験値稼ぎのためにメックを自力で修理しまくっているから予備を購入しておいた。

企業地区のAutomataに行きます

次はSnake Lake企業地区に移動して「Automata」という名のお店を訪問します。Automataでもメックのパーツの売買ができるのです。このお店ではメックの本体も購入できるしゲームの終盤までお世話になりそうだ。

LRL-32 小型ロケット

Automataには2つのメック用武器が販売されていました。1つ目は8千円で購入できる「小型ロケット」です。小型ロケットの威力はDC1×10と低すぎる。SPDが2だから早く連射できるわけではないし弱い武器だと思う。こんな雑魚ロケットを使用しているプレイヤーっているの?

MAC-4 マシンキャノン

2つ目の武器は2万円で買える「マシンキャノン」です。威力はDC4×10だから頑張ればBuruBuruに勝てる武器ではある。しかしマシンキャノンよりも、現在主力にしているレーザー砲やShakaキャノンの方が強いから買う必要はありません。このゲームってお店の商品よりも敵から入手する武器の方が優秀なんだよなあ。

大型ガウスキャノンを主力にして頑張ります

結局、新たなパーツを購入することなくお店を去ることになった。メックアリーナでは現在装備している武器を頼りにして戦うしかない。今のところ俺が所持している最強の武器は上の画像の「大型ガウスキャノン」だ。弾薬の数が10発と少ない欠点はあるけど威力はDC18×10と抜群に強いし、とても射程が長い。大型ガウスキャノンを主力にしてどこまで戦えるのか試してみましょう。

Hogye村に移動します

俺のメック重火器スキルは3と低いからメックバトルで大型ガウスキャノンを発射しても命中しなかった。だから俺がモタモタしているうちにチンプルが敵のメックを撃破しまくっていたのだ。メックアリーナでは俺1人で戦うことになるためチンプルに加勢してもらうことはできない。仲間のNPCがいないのは正直厳しいけれども絶対に勝つぞ。

Hogye村のMecha Sporchを訪問しました

Hogye村のメックアリーナはMecha Sporchです。Vikkiがいるし今回も俺様が活躍するところを見学してもらおうか。なぜならVikkiは仲間になるNPCだからね。

Noterubu:アリーナ支配人

結局アリーナ戦の前にメックを強化することはできなかった。前回は斉の襄公で挑んで勝利したが、今回は晋の献公(Walfram)に乗っているから微妙に弱体化している。まあ敵に包囲されたりしなければBuruBuru2体くらいならギリギリ勝てるでしょう。それでは第4回目のアリーナ戦に挑戦します。

メックバトルが開始しました

というわけでゲームの画面が荒野に切り替わってメックバトルが開始しました。周囲に敵がいないため、まずは索敵から行うのだ。この序盤の索敵における立ち回りで勝負が決まることもある。上手く敵を発見してタイマンで戦えれば楽勝だが、下手をして敵の集団に包囲されたら集中砲火をくらってしまう。集中攻撃をされ続けたら相手が弱い戦車の軍隊でも敗北する。

Roverを発見しました

最初に発見した敵は戦闘力6万のRoverだった。こいつ以外に敵メックの姿は見えないためタイマンで戦えます。まずは主力武器の大型ガウスキャノンをぶっ放してやろう。敵との距離は39なので射程は中距離として判定されます。たぶん命中はしないとは思うけど、現在地は有利なのでこの場で武器を連射する作戦です。

Roverがクラッシュしました

なんと1発目の大型ガウスキャノンがRoverに命中しました!しかも敵の機体に与えたダメージが1152と強すぎる!これは早くもメック重火器の時代が来たのかあ?大型ガウスキャノンのおかげで晋の献公がつよつよだったよお!

左下にDoomBuggyがいます

さて、最初のメックを葬ったが慢心をせずに周囲を見渡してみましょう。左下の位置にDoomBuggyを発見しました。戦闘力は3万と弱いのでレーザー砲で牽制しながら大型ガウスキャノンをぶち込んでやろう。あまり現在地からは動かずにジックリ射撃をすればよろしい。たぶんどこかにBuruBuruが潜んでいるだろうから下手に動くとBuruBuruとDoomBuggyの2体を相手にすることになって不利だからね。

DoomBuggyがクラッシュしました

あれ?DoomBuggyに攻撃していたらゲームの画面がHogye村に戻った。どうやらDoomBuggyがクラッシュしたようです。信じられないことに敵のメックが2体しかいなかったようだ。もう4戦目のバトルだというのに簡単すぎじゃないのか。てっきりBuruBuruクラスの強いメックが2体は出てくると思ったんだけどなあ。

報酬として4187円を貰いました

なんだか物足りない戦闘だったが勝つことはできた。アリーナ支配人から報酬として4187円を貰いました。今回は事前に戦場のハイエナのタレントを習得しておいたから破壊したメックから多くのパーツを回収していそうだよね。しかし所持品を調べたところ回収したパーツの数は少なかった。もしかしたらメックのパーツを自動で拾う場合(NOPILLAGEオフ)は戦場のハイエナの効果が無いのかもしれない。検証はしていないけど戦闘中に手動で残骸からパーツを拾わないと効果を発揮しないのだろう。

現在の晋の献公です

今回の投稿はここで終わりにします。現在の晋の献公は上の画像。今回の投稿から晋の献公について詳しく書いていこうと思うのだが、最初に何の逸話から書き始めれば良いのか悩んでしまった。晋の献公の元年から開始するなら、献公と虢公が周王に朝覲した逸話から書き始めることになる。この朝覲は晋(曲沃)、虢、周王の間にある因縁をよく勉強してから書くべきだと考えているので後回しにしたいのです。すると献公の五年における驪戎との戦いから書くことになりそうだけど、驪戎の存在に触れるということは驪姫が登場してしまい、そのまま驪姫の乱に突入して、歴史の入門書には記述されていない献公独自の逸話を大幅にカットすることになる。

Vikkiに話しかけてみます

じゃあ驪姫に触れるのはほどほどにするとします。そうなると献公の八年(晋世家)から始まる士爲の謀略から書き始めることになる。だが士爲の逸話を記述するのなら「桓叔、荘伯」の一族とは何者なのかを事前に解説しておきたい。そのような事を考えていたら献公から書き始めるのではなく、少し過去に戻って献公の先祖から説明するべきだと思えてきました。たとえば献公は太子の申生を曲沃に居住させることになりますが、そうなると曲沃とは元々なんだったのかを解説することが必須となり、父親の武公の代から書き始めるのが手っ取り早くなる。武公の存在に触れるということは晋が分家だった時代を説明する必要がありますから「桓叔(成師)」と兄の「晋の文侯」の関係も書きたくなります。しかし晋の文侯なんて中途半端なところから始めるくらいならいっそのこと晋の国が誕生したところまで戻ったほうが楽だと思ったので、晋の唐叔虞から書くことにします。

Vikkiとは特別な会話が発生しなかった

自分のブログとはいえ俺が晋の成り立ちを書くことになるとは思わなかった。人生は何が起きるか分からないものだ。それでは史記晋世家(明治書院)などを参考にして晋が誕生した経緯から解説します。晋の始祖である唐叔虞は周の武王の息子です。周の武王は殷(商)を滅ぼして殷周革命を成し遂げた有名な王様ですね。周の武王が戦った相手は殷の紂王という「酒池肉林」や「炮烙の刑」などで知られるこれまた有名な王様です。そして殷が滅びたことにより周王朝が始まったのですが、武王は王朝が始まってすぐに崩御してしまいます。武王が亡くなったことにより息子の成王が即位することになりました。ところが即位した当時の成王は幼い子供でした(魯周公世家)。ちなみにこの成王の子孫が周の幽王になり褒姒とともに西周の滅亡に立ち会うことになるのです。

アリーナのメックから回収したパーツは4個です

成王は暗愚な王様ではなかったけれども、即位した当時は子供だったので兄弟と一緒にふざけて遊ぶこともあった。ある日、成王が弟の叔虞に、桐の葉で作ったおもちゃの印(諸侯を封ずるときに使用する玉)を与えて「これをもっておまえを封じよう」と儀式の真似事をした。それを聞いた太史の史佚が成王に「吉日を選んで正式に叔虞を諸侯として封じましょう」と言った。成王は「あれはふざけて行った儀式だ」と弁解をしたが、史佚は「天子に戯れの言葉はありません」と諫めて、成王の弟の叔虞は唐の地に封じられることになり、唐叔虞と号するようになった。唐叔虞の息子である燮が君主として即位すると国号を晋と改めたので、それ以降、唐叔虞の子孫は晋侯と歴史書に記述されるようになった。これが子供の遊戯で誕生した晋の成り立ちになります。しかし現在は中国史の本などを読むと、成王と叔虞のやりとりはただの伝説であり、実際は別の経緯によって晋が誕生したのだと異説を唱える方がいらっしゃいます。異説の例を挙げると晋が避けるべきだとされている同姓婚を行っていたり、また晋が同姓の姫姓の国を積極的に滅ぼしていったことを根拠に、晋という国はもともと姫姓の国ではなかったが、ある時期を境に姫姓を自称するようになったというものです。

44の経験値を取得しました

まあとにかく史記においては晋の初代君主は唐叔虞、第二代君主は晋侯燮です。そして晋の第九代君主穆侯の時代にとんでもないことが起きました。穆侯が太子に縁起の悪い「仇」という命名をして、庶子の弟には大成を意味する「成師」と名付けたのです。晋の大夫の師服は「わが主君の子供に対する名付け方はおかしい。太子と庶子の名前が相反しているため大乱の兆しが見える」と予言をしました。しかし師服の予言とは裏腹に太子仇は君主として即位すると(晋の文侯)、周の平王を助ける大手柄を立てることになります。実は晋の文侯の十年に周の幽王が犬戎の襲撃によって殺されてしまったのです。幽王は褒姒を笑わすために烽火(のろし)を挙げて諸侯から呆れられた王様ですね。幽王が死んだのちに諸侯は太子の宜臼を擁立して平王とし、東の雒邑に遷都しました。このとき虢公が王子余臣を携の地で擁立して、余臣は周の携王となりました。携王の存在は史記には書かれておらず「竹書紀年」に詳しく記述されているようです(参考文献:周―理想化された古代王朝)。つまり周王朝に2人の王が誕生するという大乱世へまっしぐらの状況になったわけです。このピンチの時期に晋の文侯(仇)が携王を殺害して、周の王様は雒邑の平王だけになり、ひとまず周王朝は落ち着くことになりました。

これからはメック重火器を鍛えていきます

仇と名付けられた晋の文侯は周王朝の危機を救って、世が世なら覇者と呼ばれてもおかしくはない君主になりました。ところが彼の血胤は晋の系譜から抹殺されることになります。晋の文侯が亡くなって晋の第十二代君主昭侯が即位しました。昭侯の元年に、昭侯は叔父の成師に晋の本拠地の翼よりも豊かな曲沃の地を下賜することに決めました。曲沃の地を得た成師は桓叔と名乗るようになりました。この瞬間から分家となった桓叔による本家への挑戦が始まったのです。中国史の解説書だと成師(桓叔)は兄の仇から冷遇されていたので、曲沃の地を得てから兄の一族に復讐を始めたと書かれていたりしますが、史記や左伝にはそのような記述は無い。もしかしたら春秋公羊伝か春秋穀梁伝に兄弟間の確執が書かれているのかもしれません。曲沃の地を得たときの桓叔の年齢は五十八歳と高齢だった。また桓叔の高祖靖侯(晋の第六代君主)の孫にあたる欒賓がその補佐役になりました。

有名度が18から19に上がりました

桓叔の孫である称(武公)と欒賓の息子である欒共子は戦場で殺し合いをすることになります。その様子が「国語」の晋語に書かれているので後日解説をします。晋の文侯(仇)は偉大な功績を残した君主であり、昭侯はその息子です。それでも文侯の弟の桓叔(成師)は晋の民から人気があったようで、心酔する臣下もいたようです。当時の大夫の潘父は、分家の桓叔を晋の君主にするために本家の君主である昭侯を殺してしまいました。春秋時代において公族が君主を殺した例は数多くありますけれども、大夫の手で君主を殺害した例は公族のそれと比べると少なくて、どんな大義名分があろうが君主殺しを行った臣下には悲惨な運命が待ち受けているものです。潘父は桓叔を君主にする願いが叶わず戦死しました。

次のタレントはTotal Expが1万になると習得できます

晋という国は君主殺しが特に多い。晋は実質的な成り立ちといい(分家による乗っ取り)、他の諸侯に対する態度といい(虞や秦への裏切り)、その末路といい(六卿の専横と三晋による滅亡)、強い者が正しいといった論理が幅を利かせる国だと思います。そんなわけで昭侯が殺害されるという中途半端な場面ですがブログを書いている俺が疲れたので今回はここで終わりにします。桓叔の孫が晋の本家を滅ぼすことになる武公です。桓叔の曾孫がこのブログの主役である晋の献公になる。桓叔の兄である仇の子孫(君主)は、分家の者に殺されたり、病死のように若死にしたりして、皆殺しになります。

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