この投稿は「GearHead1」のプレイ日記です。目次はこちら。前回の投稿はこちら

3日目17時41分51秒

GearHead1のプレイ日記を始めます。前回はランダムイベントやメールで依頼されたイベントに挑戦しました。今回の投稿はHogye村に行ってメックアリーナの第3戦目に挑戦します。そろそろ前回のアリーナ戦から24時間が経過するからね。

現在のメモとメールです

現在のメモとメールは上の画像。まだ戦力と情報が不足しているのでLast Hopeには行かない。Ironwind砦は場所がわかりません。ゆえにメモとメールに書かれているイベントはスルーだ。

しばらく繁華街のNPCからイベントを引き受けます

今すぐHogye村のアリーナに向かっても良いのだが、しばらくSnake Lake繁華街のNPCたちと会話をします。何件かランダムイベントを引き受けて有名度を上げたいのだ。このゲームはとにかくNPCから依頼を引き受けて有名になっていかないとメインイベントが先に進まないのです。

看護士から探検隊の救助を依頼されました

病院を訪問したら看護士から探検隊の救助を依頼されました。これは前回の投稿で達成したイベントですね。簡単なイベントなので引き受けておきますね。前回と同じような画像を貼るのは面倒くさいから全員を救助するまで飛ばします。

全ての負傷者を救助しました

チンプルと協力をして遭難していた負傷者を全員救助しました。報酬は125の経験値と4270円のお金です。相変わらず、ため息が出そうなくらいショボい稼ぎです。まあ遭難者たちの命が助かったのだしヨシとしましょう。

バーテンダーからElricを探すイベントを引き受けました

まだ仕事をくれるNPCがいるかもしれないので繁華街をうろつきます。酒場のNPCと会話をしていたらバーテンダーが仕事を紹介してくれました。たぶん過去の投稿で挑戦したElricを捜索するイベントと同じものてす。このイベントも画像を貼らずに捜索が成功するまで飛ばします。

Elricの捜索と救出に成功しました

バーテンダーのイベントは白兵戦をしながらNPCを救助するのだが、チンプルが強すぎるのでメチャクチャ簡単だった。Elricの救助に成功して125の経験値を取得することができました。このイベントは250の経験値を稼げるはずなのに、なぜか今回取得した経験値は125と少ない。実は報酬として貰える経験値の半分はチンプルに振り分けられていたのだが、この時点では気づかなかった。

償金稼ぎからイベントを引き受けました

もうイベントで稼ぐのは面倒くさいからHogye村のアリーナに行きたい。そう思っていたらハンターギルドの償金稼ぎが仕事を紹介してくれたよ。3回も依頼を引き受けるつもりはなかったのだが稼げるときに稼いでおくべきだな。

25の経験値と2325円を取得しました

賞金稼ぎから依頼されたイベントの内容はストリートパンクと戦うというものだ。チンプルがキャノン砲を撃ちまくって、あっという間にイベントを達成しました。報酬として得た経験値は25であり明らかに少なすぎる。ここで何かの理由で取得できる経験値が減ったのだと確信したのです。

チンプルの経験値が0から561に増えています

チンプルの能力値を確認したところ経験値が0から561に増えていました。このようにイベントなどで取得した経験値は仲間にも振り分けられてしまいます。このシステムを知ったときは逆に嬉しかったですね。俺はどうやって仲間に経験値を稼がせようか悩んでいたからだ。

これからHogye村のアリーナに行きます

結局、Snake Lake繁華街にいる全てのNPCと会話をしてしまった。そんなわけで稼ぎは終わったから今回の投稿の目的であるアリーナ戦の準備をします。まずは広域マップを歩いてHogye村のメックアリーナに行きましょう。これまで俺は何度かアリーナのメック戦を行ってきたが余裕で勝てた。もしかしたら今回は苦戦するかもな。

Mecha Sporchに到着しました

この世界にはメックアリーナが数多く存在します。Hogye村にあるメックアリーナはMecha Spochという名称だ。メックアリーナによってチャンピオンになった時の報酬は異なる。ひとまずはHogye村のアリーナでチャンピオンになって、Mecha Spochの報酬を頂きましょう。

アリーナ支配人のNoterubuに話しかけました

それではアリーナ支配人に話しかけてメック戦を行います。アリーナは一度利用するとしばらく挑戦できないが、すでに前回の挑戦から24時間が経過しているため戦うことは可能です。まあアリーナは利用してから13時間くらい経過すれば挑戦できるっぽいけどね。

メックバトルが開始しました

さて、3戦目のメックバトルが開始したぞ。視界の範囲内に敵対メックはいない。ゆえにこれから荒野を徘徊してメックを索敵しないといけません。こうやって敵を探すためにノコノコ歩いていたら先制攻撃をくらうのがいつものパターンなんだよなあ。

Ultariと遭遇しました

しばらく歩行していたら「Ultari」という初めて見かけるメックと遭遇しました。Ultariは戦闘力が6万と低い戦車型のメックだ。まあレーザー砲を2~3発撃てばクラッシュするだろう。つーか、南側から別の敵対メックに砲撃されているから早く倒さないとマズい。

Ultariは頑丈なメックです

Ultariに何度かレーザー砲を撃ったけど、クラッシュどころかモジュールの破壊すらできない。Ultariは戦闘力が低いわりに頑丈なメックなのです。たぶん武器は平凡だが装甲が優秀なタイプのメックなのだろう。苦戦しているうちに3体のメックから攻撃を受ける絶体絶命の状況になってしまった。このままでは俺のメックが破壊されてしまう!

Ultariを撃破しました

Shakaキャノンが命中してUltariの撃破に成功しました。1体目のメックに苦戦したせいで、こちらも相当なダメージをくらってしまった。マズいことに斉の襄公の左腕が破壊されそうです。左腕が破壊されたら左手に装備しているShakaキャノンを失ったりするんじゃないの?

次はVespaと戦います

次は近くにいるVespaと交戦します。Vespaなんてワンパンで撃破するくらいじゃないとダメだよ。これからBuruBuruなどのバトロイドがアリーナに出現するようになる。こんな雑魚は軽く蹴散らさないとやっていけないよ。

Vespaを撃破しました

なんとかVespaを一撃で破壊することができました。しかし、雑魚メックどもが負傷している左腕に砲撃を当ててきたから地味にピンチだ。残っている敵対メックは1体だけか?最後の1体がBuruBuruでしたってオチはないよな(笑)。

最後にRoverと戦います

最後に残ったメックは戦闘力6万のRoverだった。まあタイマンなら絶対に勝てる相手ですよ。そんなわけでRoverに向かってレーザー砲とShakaキャノンを連射します。

報酬の3562円を受け取りました

Roverの撃破に成功してアリーナ支配人から報酬の3562円を貰いました。対戦相手が弱いおかげでメックアリーナの3戦目に勝利することができた。おそらく次回の4戦目もVespaみたいな雑魚メックと戦うことになるのでしょう。なんだかHogye村のアリーナでチャンピオンになるのが楽勝に思えてきた!

Vikkiと会話をしておきます

最後にVikkiと会話をして投稿を終わりにします。俺はHogye村に来るたびにVikkiと話しているのだが、なかなか友好度が上がらない。Vikkiは会話さえすれば、どんな話題でも友好度が上昇するのに、翌日村に戻るとガクッと下がっている。群馬スグルの会話スキルは3だから低すぎるのかな。

3勝おめでとうございます

Vikkiに話しかけたらお祝いと激励の言葉を頂きました。今回のバトルで3勝になったから10勝を目指して頑張ってくれと言われたよ。つーか、まだ俺は3勝しかしていないのか。自分の体感だと6勝くらいプレイした疲労があるので意外だ。

現在の斉の襄公です

現在の斉の襄公は上の画像。前回の投稿は斉の襄公の九年までの歴史を考察しました。今回は斉の襄公の十年と十一年に起きた事件を読みながら何かしら感想を書きます。斉の襄公の十年(紀元前688年。魯の荘公の六年)。夏の六月、斉に亡命していた衛の恵公が帰郷して、国君についていた公子黔牟を周に追放し、大夫の甯跪を秦に追放し、公子黔牟を擁立した左公子泄と右公子職を殺して衛の国君の位についた。冬に斉の人が魯に来朝して衛の国から略奪した財貨をおくり届けたのは、文姜が所望したからである。

左腕が破壊される寸前でした

斉の襄公の十一年(紀元前687年。魯の荘公の七年)。春に文姜が斉の襄公と魯の防で会合したのは、襄公の希望によるものである。防は魯の地名。山東省琅邪華県の東南。あるいは山東省泰安県の東南ともいわれる。七月、斉の襄公は大夫の連称と管至父の二人に命じて葵丘を守備させた。二人は瓜の熟する七月に任地に出かけたが、その時、襄公は、「明年、瓜の熟する時(七月)になったら交替してあげよう」と約束した。冬に文姜は斉の襄公と穀にて会合をした。穀とは現在の山東省東阿県である。

41の経験値を取得しました

以上が襄公の十年と十一年に起きた斉に関係する事件です。次は襄公の十二年に起きた事件を書くべきなのだが、その前に襄公の十年における衛の恵公について考察します。襄公の十年の衛は「恵公が衛に帰郷して君主の位についた。恵公が国君についていた公子黔牟を周に追放した。恵公が大夫の甯跪を秦に追放した。恵公が公子黔牟を擁立した左公子泄と右公子職を殺した」という君主が変わるほどの内乱が起きました。春秋左氏伝(明治書院)にはこの内乱について厳しい批評が書き加えられています。この批評をスルーして襄公の十二年を読むのはもったいないため、衛で起きた内乱を軽く紹介しつつ左伝の批評が適切なのかを考察します。

有名度が11から14に上がりました

そもそも内乱の原因は衛の恵公の父親である宣公が暗愚だったからです。宣公のせいで、若かりし頃の恵公は母親の宣姜と共謀して、急子(太子伋)と、寿子(恵公の兄弟)を殺害しました。急子が死んだことにより恵公は太子となり宣公の死後に衛の君主になった。しかし、急子の後見人である右公子職と、寿子の後見人の左公子泄は恵公を恨み、公子黔牟を衛の君主として立てた。君主の地位を奪われた恵公は斉に亡命することになりました。その斉に亡命した恵公が諸侯(魯、斉、宋、陳、蔡)の力で衛に戻ってきたのが襄公の十年の春なのです。

健康状態は疲れています

先ほども書いたとおり春秋左氏伝にはこの衛の内乱に厳しい批評が書き加えられています。その批評とは「右公子職と左公子泄が公子黔牟を擁立したのは思慮のないことである。いったい、地位や爵禄をかためることができる者は、本と末とをよく見きわめてから、ほどよい者を立てるものである。その本がしっかりしていることを知らなければ、その人のためにはならぬものである。本が弱くては、枝葉を生じて茂ることができないように、将来栄えることができないことを知ったら、決して無理をしないものである。詩にも、『本がしっかりしておれば枝葉が茂って永遠に栄える』と歌われている」です。

アリーナのドロップアイテムは3個と少なかった

長い批評だから要約するのが難しいけれども、鎌田正氏によると「本の強いものはのちに栄えるから助けるべきであるが、その反対の場合は助けるべきではない」となるそうです。「本」は君主としての器量、「末」は長く栄えるか否かを意味しますので「本と末とをよく見きわめてから、ほどよい者を立てる」とは、「君主としてふさわしく長く栄えるか否かを見きわめてからほどよい者を立てるべきだ」となります。また「(詩にも)本がしっかりしておれば枝葉が茂って永遠に栄える」という箇所は詩経の「大雅、文王」を参照しています。詩の原文だと「文王孫子、本枝百世」と書かれている部分からの引用になります。

Hogye村のMegiから嫌われています

「文王孫子、本枝百世」は明治書院の詩経だと「文王の子孫は、本末百世までも栄えた」と翻訳されており、東洋文庫の詩経雅頌だと「文王の子孫、本宗と分家と、末代まで(栄えた)」と訳されている。つまり文王の詩の「文王の子孫は、その本宗(本家)は代々天子として、支庶(長子以外)はそれぞれ諸侯として永遠に栄えた」という箇所を引用して、左伝は「(詩にも)本がしっかりしておれば枝葉が茂って永遠に栄える」と批評したのです。本来、文王の詩には「本が弱くては、枝葉を生じて茂ることができない」という意味の文章は書かれていないが、左伝の批評では詩をやや拡大解釈して引用しています。

Hogye村のHyoleeから嫌われています

以上に書いたことを私なりに要約すると「衛では親兄弟が殺し合う後継者争いが起きてしまった。左公子泄と右公子職は恵公を追い出して公子黔牟を君主として立てた。これは思慮のない行いである。なぜなら君主とはその器量や長く栄えるか否かを見きわめて立てるべきであり、公子黔牟は国君としてふさわしくないからだ。大雅の文王に『文王の子孫は、本家は天子として、長子以外は諸侯として栄えた』と書いてある。それは樹木の幹がしっかりしていれば枝葉が生い茂る様子に似ている」となります。この左伝の批評は私にとって難解ですから、ずいぶんと下手な要約をしてしまった。しかし何度も読める含蓄のある批評だから時おり左伝の内容を思い出して、もっと良い解釈はないのか、あるいは左伝の批評は妥当なのかと考え続けていきたいです。ブログの記事に取り上げる価値のある批評だったと思います。

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